私の奥様は片づけられない人です。ですが、それを彼女にきつく言ってはいけません。なぜなら彼女は自己肯定感のとても低い方で、それを言ってしまうと自分を責めてしまうのです。この言い方が正しいのかわかりません。そして彼女はうつ病を患っております。彼女のがうつ状態になる時、顔は物悲しく、そしてやらなくてもいいといっても必死にご飯を作ったり無理をしだします。
うつ病のパートナーとの接し方がわからない
もちろん、いつもうつ状態になっているわけではなくとても機嫌良さそうに子供と接するときもあります。それはもう口調で分かります。どれだけ気分が良いのだろうか、というのは一目見て分かります。これを躁状態(そうじょうたい)といっていいのでしょうか。少しだけテンションが高い時があります。
付き合いが長くなってきたからか、奥様が気分が悪くうつ状態な時は大体一目見て分かるようになりました。目に生気がなく表情も乏しい。また話し方もスムーズではなくなり、言葉数も少なくなり、問いかけに対して敬語で答えることが多くなります。
そんなとき、状態が悪いと指摘してはいけません。また具合悪いのか?という言い方は、具合が悪くなるのは自分がしっかりしていないからだと自分を責めてしまうからです。心の状態が健常な人たちからしたらなんて大変なんだろうと思うかもしれません。しかし、これが私の奥様なのです。
もし、ですがあなたのパートナーが私の奥様と同じような状態になる時があると気づいた場合、うつを患っている可能性を考えたほうが良いと思います。その際に間違った対応をしてしまうと、うつを悪化させるだけではなく長引いてしまう可能性も高いです。
奥様の育った環境とうつの関係
基本的に自分の気持ちを表すことはしません。子供のころから自分の意見が言える家庭環境ではなく、とにかくお母さんの言うことをよく聞く反抗期のない子供だったそうです。とにかく『いい子』でいること、それが彼女の生きる術であったのです。彼女の家は田舎の古い慣習が残る家で、お父さんお母さんのほかにお父さんの父ですね。奥様からすると祖父と祖母が居る家庭でした。
祖父と祖母の言うことは絶対で、奥様の父親はその祖父母の言うことには全く逆らえない性格と状況だったそうです。そんな奥様のお父さんとお母さんが結婚したのはお見合い結婚で、お母さんはほかに好きな方がいたそうですが、お父さんと結婚をいやいやしたそうです。
そんな家庭に急に入った奥様のお母さんはとても立場が弱かったそうです。家事が出来なければ祖母に怒られ、どんなに体調が悪くても野良仕事を休むことが出来ない状況だったそうです。そんなためかお父さんとお母さんは宗教に救いを求めます。
もちろん生まれたばかりの奥様のもその宗教施設へ連れていかれ、子供のころから宗教に慣れ親しんでおり、世界はその宗教の教えの通りに廻っているのだと信じ込んでいきます。私はお断りしておきますが、宗教が悪い、ということは思っておりません。宗教を信じることは別に悪いとも思ってはいません。どちらかというと合理的ではないという理由で宗教を信じる必要がないと思っているだけです。神が存在しようが自身の人生に何ら関係がない、という不可知論者といっていいでしょう。奥様の信心とは全く逆です。
奥様の精神世界を構成する要素は宗教から見た外の世界ではなくとにかく信じる宗教の世界観をそのまま水を移すように構成されているようです。
これが何を意味するかといいますと、宗教の考え方の外に出ることが出来ない、ということです。外の世界は見たこともない世界で、まるで自分が思っていたのと違う世界がそこにはあるのです。奥様が成長するにつれて外の世界を見れば見るほど、知れば知るほど自分の知っている世界とは剥離が生まれます。そんな世界に自分が飛び込むことは恐怖以外何者でもありません。
奥様は結婚後ほとんど仕事ができない状態が続いております。外の世界に出ると恐怖で体がすくんでしまうのです。目に見えて体調が悪くなる様子が分かりました。もう無理をしないで辞めれば良いというアドバイスもあまり効果がないどころか逆効果です。なぜなら理想があまりに高いので、出来ない自分が許せないのです。けれどもどうしようもなくなって心の状態が不安定になり、処方されている精神安定剤に頼りだします。すると今度はその薬の量が増えてしまい、虚ろになっていくのです。
うつ状態とどう接するべきか、うつ状態にならないためにどう導いてやるか
私は精神科の医師でもありませんし、特別な知識を持っているわけでもありません。ただ奥様がうつ状態になるには何かしらのトリガーがあると考えています。例えば最近の話ですが、私が仕事中にちょっと電話を奥様にした際に、今日の夕飯は何?と何気なく聞くのですが、子育てで疲れてしまっているときは休みたい気持ちもあるのだと思いますし、私も疲れているときは夕飯の支度はしなくても良いよといつも言ってもいます。しかし奥様が疲れて思考が鈍っていると、夕飯の支度が疲れて出来ないことをよしとしないのです。疲れていてもやらなければ出来ない情けない人間だと考えてしまうのです。
夕飯は何?と聞くことがトリガーになっているかもしれないと、今後聞くことを止めようかと思っています。もしくは言い方を変えてみるか。
うつを抜け出すのは自己肯定感?
うつになる人とならない人の差というのは自己肯定感の高さではないかと思います。私は自己肯定感がとにかく高い人間だと自負しておりますし、ナルシストなのかもしれません。別にカッコ良いと思っているわけではないですけど、世界は別になるようにしかならないし、今会社をやっていますが、万が一上手くいかなくても死ぬようなことではないだろうと少し楽観的に考えているところがあります。
ただ、私は認知療法を学んだわけでもないですし、他人の自己肯定感を育てる術を知りません。子供であれば褒めたり、意見を尊重したりすることで自己肯定感が育つとあります。しかし奥様にしてみれば他人に褒められることは、どう反応していいのか分からない、そうです。ご飯がおいしい時、褒めてもプロのコックじゃないしと途方もない反証を行います。とても手ごわいんです。
さてもう一度奥様が子供のころ置かれた状況を詳しく、知っている限り挙げてみます。
- お母さんがとにかく奥様のことを決めていた
- お母さんが祖父母の悪口を奥様に言っていた
- 自分はとにかく辛い状況に置かれている、ということを奥様に伝えていた
- 奥様のお父さんはお母さんに口出しを一切しない、いわゆる日和見の人だったこと
- 宗教には家族総出(祖父母除く)で行っていたので、行かないとお父さんお母さんに捨てられると思っていた
- 反抗期がなかった
結婚後
- お母さんが毎日のように電話してくる。毎日どころか極端な話2、3時間置きくらい
- 宗教の施設には決まった日にちに必ず行く
- お父さんとお母さんが私たち夫婦のケンカに割って入ってくる。
- 連れ戻すと大騒ぎされたことも。
結婚前に生まれた子供には宗教は本人が理解するまでやらせない、という約束を奥様と奥様のお父さんとお母さんと4人でしたが、あっさりと破る。実家に泊まりに行くと孫たちを集めてお経をあげたりする。奥様の気持ちとしては、約束を破ることは良くないと思ってもいるのですが、親が言うことだから正しいのではないかとすぐに考えを変えてしまいます。しかしそこには当然のように葛藤もあり苦しくなるのです。
奥様の自己肯定感を上げるためにやってはいけないことは、上述の奥様の状況を鑑みると家族をけなしてはいけない、宗教を否定してはいけない、何よりも出来ないことを責めてはいけないのではないかと考えた。
本人は出来ないことを良しとせず、自分の評価に関わることに関しては例えば家事や片づけなどが出来ないことは嫁や母としての評価が下がるようなことは絶対に避けたいのです。かといって毎日片づけたりするかというとそうではないのです。はたから見ているととにかく矛盾が多い。しかしあまり指摘してはいけないのだと思います。
子供を諭す様に接する。
言い方は悪く聞こえるかもしれないのですが、子供に言い聞かせるようにやさしく諭すような言い方のほうがベターかもしれません。大きな声で怒鳴られたりすることはトリガーをひく可能性が高いため、やらないほうが良いです。また感情に任せてものに当たったりするのも良くないです。

辛い時に気持ちをわかってやれる人がそばに寄り添うようにする
奥様には友達が少ないです。心を許せる相手がいないことも日々の緊張を和らげることが出来ずリラックスする時間が取れません。これは宗教が自分の世界のすべてだった人にとって周りのやっていない人間とはどこか合わないところがあると感じるようです。
私はつらくなったら休めといっているのですが、それも出来ないとちょっと腹が立って怒ってしまうことがあるのは反省点です。接し方としては優しく認めてあげることが大事かと感じました。
また、無理にこうしたほうが良い!という強制も良くはありません。かえって反発を招くだけです。とにかく腫れものを触るような感覚になってしまいますが、ソフトにソフトに接するしかないというのが今のところの感想です。

うつは思考の循環の問題ではないか?
私の奥様を見ていると、どうしてそんなことに苛まれているのかと疑問に思うのです。健常な人からしたらうつ状態の人がなぜその考えにとらわれているのか?捨ててしまえばいいじゃないかと思うはずです。簡単なのはその考えをやめることです。ですが、それが出来ないからうつ状態になるのだと思います。うつ状態になると思考は悪循環を繰り返します。上手くできないのは自分がダメだから、と考えてますます上手くできない状態に陥る。もっと行きついていくとリストカットをすることもあります。私の奥様はそうです。
つまりその思考の循環を断ち切れば新たな思考が出来るのではないでしょうか。
私は常々思っていることがあります。それは世界は自分の脳の創作物で好きなように描くことが出来る、ということです。よく不可能なんてない!という言葉がありますが、大まかな括りで言うとそういったことです。描きようによってどうとでもなると思っている人間にとってうつ状態の人には考えを違う思考回路にすればいいだけではないかと思います。
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