就職氷河期世代、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。就職氷河期世代は2000年初めごろに大学や高校などを卒業して社会に出ようとしていた世代で、このころの就職活動というのは、実は私も就職氷河期世代なのでまさに当時リアルタイムで見ていたのですが苛烈を極めた状態でした。

『見ていた』というのは私も大学在学中に周囲が就職活動をしている様を見て恐れおののいてしまったのです。とにかくみんな企業の採用試験を受けまくる。20.30社は当たり前だったはずです。就職氷河期と呼ばれる時代に入る前には企業は採用人数はだいたい100人規模だったのが、氷河期に入りひとケタ、もしくは採用をしないというところもあり就職先を探すのがとても困難でした。

就職氷河期世代の名称を「人生再設計第一世代」に変更

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2019/0410/shiryo_02-1.pdf
就職できないことを自己責任論と突き放したツケ
良い大学に入り、良い就職先に就くのが当時の人生設計でした。それが経済の状態が悪くなり(バブル崩壊)途端に世間からはそっぽを向かれてしまったのです。当時ミレニアムなどと騒ぎ立てていましたが、実態はうすら寒い現状だったのです。運よくルックスが良く生まれた女性や実家が医者、お金持ちの家の方は就職先もそれほど苦労していなかったと記憶しています。医者家業などであれば、実家のつてで営業先が開拓で着たりしますから医薬関係の会社などにとっても求職者にとってもメリットがあるわけです。ところが実家が普通でルックスも普通だったりした私とかは就職先があるとは感じられなかったです。
何とか頼み込んで会社に入れてもらう、というまさに生活のために地べたに頭を擦りつけるような就職活動がそこにはありました。
- 周りの友達もみんな人間性が変わりました。友達同士でワイワイやっていた就職活動に入る前はとにかくみんな明るくてこのまま続いてくれれば楽しいのには、終わって欲しくないと言う気持ちだった。
- それが就職活動が始まると、友達ですらライバルです。ライバルといういい方は良い方でまさに蹴落とす相手なんです。エントリー先が被らないように、なんていうことも言っていられない時代で、とにかく数を受けまくる。
- 友達なんかいらない感が生まれてくる。そうこうしているうちに6月になり、内定がまだ出ていないと焦る。会社のエントリー数を増やす。第一希望などと言っていられない状況になる。数打てば当たる、方式で挑むも交通費がバカにならない。就職活動をして破産寸前。
- 暑くなり始めた6月に内定が出ないと焦り、少し無理をして体調を崩す。夏休みが終わり9月に入って就職先が見つかっていない状況に絶望感を深くする。
- いったい全体自分は何をやっているんだ、という突如無力感に襲われ始める。そんなときにテレビで就職先が見つからないのは自己責任、会社に就職できないのも自己責任という言葉が流れてきて涙が溢れる。自分のすべてを否定されたかのように感じる。自分はなんて無力なんだと夜眠れない日々が続く
- 短大生だった友達は、4大以外お断り、と言われる日々が続き絶望を味わう。
自己責任論を甘んじて受け入れ、派遣社員として働いた10年
政治はなんの手助けもしてくれなかった当時、私たちのよりどころはどこだったのか。頼るものもない状況で社会と接点が持てないでいるため、孤立無援、まさに言葉だけでは言い表せないほどの精神状態だったと思います。
これが自己責任論であれば我々は政府に対して何を期待するのでしょうか。結局生まれた時代に全てが決まってしまっているようなもので、夢も希望も持てない。確かに自己責任というのは一方の見方をすれば正しいと思います。這いあがれば良いじゃないか。そりゃそうです。でも周囲が就職を決めていくなか、道を外れることがどれだけ自身にとって屈辱的なことなのか少し理解をしてもらいたいものです。
大学卒業後、就職氷河期世代は多くが派遣社員やフリーターにならざるを得なかったのは自己責任論ではなく社会の構造上の不備でもあるはずです。企業は終身雇用制度の見直しに入っていましたし、人件費の削減のため非正規社員を増やす動きがあったのです。大学を卒業した非正規なんていうのは最も使い勝手が良かったのではないでしょうか。それなりの知識はあるし大学に入れた、というのはそれだけで勉強をある程度するまじめさがあるわけです。それで会社の業績が悪くなれば首を切れる訳です。また当時は社会が一時的に不景気になっており、時がたてば経済も回復して非正規も正規に転換できるという読みの甘さもあったはずです。
それを自己責任で片付けるのは行政や政府の怠慢ではないでしょうか。我々は失われた世代、ロストジェネレーションと呼ばれロスジェネとか就職氷河期世代と『揶揄』されているのです。それも自分でどうにか出来なかった『自己責任』の落伍者のように。
何も手を差し伸べてこなかったツケは社会に回ってくる
就職氷河期世代はが2019年現在、未就職者の状況としてかなりの数上ると言われており、将来的に生活保護を受給する可能性が高いと言うことです。自己責任なので仕方ないのでしょうからね。だからSNSなどでは『働いたら負け』論が出てくるわけです。
バブル崩壊後に雇用状況が悪化し、就職を逃した世代は現在30代後半から40代半ばくらいです。就職氷河期世代を政府は以下のように定義しました。
内閣府によると、就職氷河期世代を「平成5年から16年ごろに卒業期を迎えた世代」とすると、人口規模は30年時点で約1700万人で、このうち支援対象となるのはフリーターやパートといった非正規社員、無職など約400万人に上る。

この400万人が今後無職のままだと、支払っているのが国民年金のみのため今後生活保護を受給する可能性が高く、社会福祉費を圧迫する可能性が高いそうな。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2019/0410/shiryo_02-2.pdf
自己責任論に対する反論は声をあげないでも行われる
自己責任のために就職できず社会との接点も見いだせないままに、結婚やマイホーム購入などそれまでの人生のイメージをそのまま過ごすことができなかった世代が生活保護受給者になることが懸念されるため、やっと手を差し伸べると言うことです。
遅くない?それって遅過ぎじゃない?
今から保険払わせるためだけに就職させてなんとか生活保護受給を防ごう、というのが趣旨であるなら我々は結局税金を支払ってもらうためだけに支援してもらう訳だし、訓練校に行こうが何をしようが就職先がきちんと見つかるのかどうか、またその後きちんとした報酬の保証があるのかなど疑問点は多いのではないかと思います。

自己責任論で責任を個人に押し付けられた就職氷河期世代は動かない
自己責任論を押し付けてきたバブル世代の段階の世代に対して就職氷河期世代は冷ややかな目を持っていることは確実でしょう。とにかく自分たちの生活を守ることした念頭にない彼らには何を言ったところで無駄という諦めの観念がそこにはあります。それは小さな集団でもそうです。私が派遣で働いていた会社では団塊の世代がリーダークラスの職に多く就いています。彼らの根底にあるのはとにかく自分の職を退職までは守りきること、会社から出る給料を退職までは必ず確保することです。生活があるから仕方が無い、自分たちがいきるためだから仕方ないと言う間隔があるのです。そんな人たちの中には自分の会社での権利を存分に使用することも忘れません。体調が悪ければ1月ほど休んだりする方もいらっしゃいました。仕事が全くできないと周りから評価されていても会社をクビになることなどないと高をくくっている人もいます。使えない人であっても何とか閑職につけて雇用を守ろうとしてあげるのが企業です。しかし派遣社員といった立場の人間は違います。業績が少しでも悪化すれば雇用期間が来ればサヨウナラをを言えるわけです。私も実は10年勤めた企業から派遣切りを受けた人間です。
そんな仕打ちを受けた就職氷河期世代が年金を払わせるためだけの救済に誰が乗るのでしょうか。一部の方は乗ってくるかもしれません。しかし全体が動くかというとそれはないでしょう。何を今さら、という気持ちのほうが強いのではないかと思いますし、今まで散々無視されてきたのに生活保護を受給する可能性が高いからという理由で訓練かと思う気持ちは私も理解できます。
当時の企業は非正規で人件費を何とかやりくりしようと四苦八苦したのも理解は出来ます。しかし政府が何もしてこなかったために、当時非正規として就職しそのまま非正規のままの就職氷河期世代は当時も今も消費活動に消極的です。内需を支えるはずの消費行動が盛んな20代30代を蔑まれ不遇の時代を過ごした私たちは消費に消極的で今も何かを買うことに対して強い抵抗があります。家も持たない、車もない、結婚もしない子供も作らないと言う世代になり、そして今40代を迎える方や半ばに差しかかる世代になってきたのです。
内需を支えない世代が生まれたことは社会全体にとってもマイナス要因だと思われるのですがそれでも今まで何も政策を打ち出さなかったのは政治でもあるわけです。自己責任論がつまりは自分たちへ返ってくるのです。
いつまでも正社員でいられるかは不透明
では今正規社員として働いている就職氷河期世代はどうでしょうか。就職氷河期世代は優秀な方が多いと言われてもいますが今正規社員で働いている方々が今後もずっと正規社員として働き続けられるかどうかは不透明でしょう。働き方改革によってどんどん働く時間が少なくされています。正規社員としての今までの収入を維持することは困難になってくることは間違いありません。それが大企業であればある程新しい働き方を推し進めていくはずです。
政治が打ち出す同一労働同一賃金が救いになるか?
しかし、何も正規社員になることだけがすべての解決策ではないはず。今推し進めている同一労働同一賃金もわずかな期待はあります。非正規と正規社員の大きな違いは賃金です。元をただせば就職氷河期世代のロスジェネが虐げられてきたとされるのは実入りが少ないからでもあります。非正規であっても正規よりも給料が良かったら大きな問題は解決しそうな気もします。賃金の保証イコール正規社員という構図から少しでも脱却すれば状況は変わるのではないかと思います。私はまず同一労働同一賃金によって正規社員と非正規の賃金格差をなくすこと、次に雇用市場の開放です。転職を何度繰り返そうが、有能であれば転職先は閉ざされるべきではないはずですし、またスキルを身につけたいと言う人も多いはずですので、そういった方々には市場を閉ざさないで上げたいものです。
失敗は目に見えている?政府の集中支援策
これまで就職氷河期世代の救済に政府は無策だったわけではないことは一応触れておきましょう。政府は就職氷河期世代を雇用する企業に対して助成金などを出してきたのですが、この政策はどちらかというと企業に対して何とか雇ってやってくれないか?というメッセージなのです。助成金をアテに企業が就職氷河期世代を雇用してくれればラッキー程度な感じです。
しかしこれらがことごとく失敗してきたため、現在があるわけです。失敗の理由は企業も利益を出さなければいけないのですから、お金が儲からないことはやらないようにする。だからこそ、人件費と時間をかけてもうまく機能するかどうか分からない人を企業が助成金だけで雇うかというとそうではなかったことが分かるとはず。
そもそもですが、なぜ就職氷河期世代が非正規での雇用を続けざるを得なかった原因となるのは、新卒一括採用にあると思われます。新卒での採用は、大学卒業時のみという制度が就職氷河期世代を生んだ原因であるのではないでしょうか。その新卒時に採用されないともうレールに戻ることができないようなシステムで、中途採用でも今までそこで働いていた人たちと同じような給料にできないのが問題であり、根本的に企業の採用の考え方に大局観が無いのが大きく歪められてしまった原因でもあるのではないでしょうか。
今後この「人生再設計第一世代」も然したる成果も上がらずに立ち消えていくのではないのかなとちょっと心配になってしまいます。企業が変わらなければならず、また政府ももう少し本腰を入れてほしいものです。「人生再設計第一世代」が本気だとしたら、ですがまだまだ足りないと感じます。
コメント