リッチーブラックモアとディープパープルの再結集、リユニオンはあるのか?

70年代初期から長い間HR界をけん引してきたイギリスのギタリストでディープパープルの創始者のひとりリッチーブラックモアが最近、かつて在籍していたディープパープルとの一夜限りでも良いからリユニオンを行ってノスタルジックなコンサートを開きたいと言う趣旨の発言をしています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB#/media/File:Deep_Purple_(1971).JPG

リッチーブラックモアはもともとディープパープルの創始者のひとりであって、オリジナルメンバーとしては1975年までディープパープルに在籍しておりました。1975年の脱退以後、彼は自身のバンドのレインボーで活動をしており、その間ディープパープルは別のギタリストのトミーボーリンを入れて活動を続けていましたが、ディープパープル自体は1976年にわずか1年あまりのリッチー以外のギタリストを入れての活動に終止符を打ちます。トミーボーリンの急死が引き金でした。

さて、ディープパープルの解散以後はリッチーブラックモアはレインボーで活動を続けていましたが、かつてのディープパープルの成功には程遠い状況でアメリカでの成功には遠く及ばず、またバンド全体のサウンドもかつてのハードロック路線から徐々にポップ路線にシフトしていきながらアメリカの成功を狙っていましたが、様々な事情が重なってかついにはディープパープルの再結成となります。

この時のバンドのラインナップは
リッチーブラックモア
イアン・ペイス
ジョン・ロード
ロジャー・グローヴァー
イアン・ギラン

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第3期のラインナップの再結成のほうが成功は容易かった?

といういわゆる第2期のラインナップでした。当時第3期でのラインナップでの再結成を進言したのはジョン・ロードでしたがリッチーブラックモアが却下したとされています。理由の一つに音楽的な主導権を第3期ではソングライティングをしていたデイヴィッド・カヴァーデイルやグレン・ヒューズに奪われてしまったからとも言われています。おまけに当時デイヴィッド・カヴァーデイルはホワイトスネイクで大成功しており、音楽的な主導権ばかりかバンドの主導権ですら彼が入ったら危うくなる。実際第3期のほうが商業的にも成功をしていたはずですし、再結成をするのであれば第3期のほうが成功する可能性は高かったはずですし、また演奏できる曲にも制限がありません。第2期のラインナップでの有名な曲は『スモークオンザウォーター』や『ハイウェイスター』などですが、第3期では第2期のラインナップの楽曲も演奏をしていましたし、有名な『BURN紫の炎』や『ミストゥリーテッド』など楽曲の幅はかなり広かったはずです。単純にお客が昔の曲を聞きたがる、という理由で再結成をするのであれば演奏できる曲に幅があったほうがベターですからね。そういった意味では当時のリッチーブラックモアにはデイヴィッド・カヴァーデイルに対する嫉妬があったはずです。

再結成第1段ツアー以後パッとしない活動

さて、この再結成ディープパープルですが、スタジオのアルバムは枚数で言うと3枚、プラス途中でイアン・ギランが解雇されて元レインボーのジョー・リン・ターナーが入ったスタジオアルバムの『スレイヴズアンドマスターズ』を入れると4枚ですね。

アルバムのセールスという点で言うと、どれも大きな成功はしていません。再結成して作成されたアルバムが『パーフェクトストレンジャーズ』というタイトルのアルバムですが、このアルバムも実際のところ大きな売り上げには結びついていないのが当時の状況だったと思います。

プラチナムディスクを獲得!というと響きはいいですが、プラチナムは150万枚以上の売り上げで授与されます。アメリカでプラチナムディスクは大ヒットとまでは行かずスマッシュヒット程度の扱いではないかと。

というのも、当時再結成ディープパープルと契約したポリグラムからは大きなアドヴァンスフィーを貰っていたはずで、それが回収できるくらいの売り上げではなかったのです。話は少し飛びますが、再結成ディープパープルの1枚目の『パーフェクトストレンジャーズ』というアルバムが期待したほどの売り上げではなかったため、次の『ザ・ハウス・オブ・ブルーライト』というアルバムの売り上げを見て、ポリグラムが契約を継続するかどうかを判断。実際のところガタガタのダダ下がりだったために契約を切られてしまう羽目に。

ディープ・パープルの第二期メンバーによる最後のアルバム『Who Do We Think We Are(邦題: 紫の肖像)』から11年後、奇跡的にこのチームが再結成し、バーモントで新たなアルバムをレコーディングするという話が浮上したのだ。ロジャー・グローヴァーとディープ・パープルによってプロデュースされた『Perfect Strangers』は1984年11月10日、イギリスでチャート・インし、今日まで刺激を与え続けてくれる作品群の仲間入りとなった。

多くのディープ・パープルのファンに暖かく受け入れられた『Perfect Strangers』はUKアルバムチャート初登場5位を記録した。1974年の『Burn(邦題:紫の炎)』が4位に輝いて以来の最も良い順位だった。12月1日には全米チャートにも登場、『Perfect Strangers』はアメリカで、1972年の『Machine Head』以来バンドの2枚目のプラチナ・ディスクとなり、32週のチャートインの間で17位まで上昇した。

ディープ・パープルの第二期での再結成アルバム『Perfect Strangers』- uDiscover
ロック・ファンたち、特にディープ・パープルのファンたちは何年もの間、見込みのない希望を持ち続けていた。1960年代後半と1970年代前半にバンドに訪れた最初の成功に付随する全てのわだかまりや感情の起伏があったが、第二期のラインナップで再結成される方法が見つかるかもしれないというかすかな可能性が常に存在していた。リッチー...
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昔のヒットソングを演奏するだけのバンドになってしまったディープパープル

ところがライブは絶好調で動員数が再結成時のツアーでは当時世界ナンバーワンに輝いたと記憶しています。つまり、ですが、彼らの新しい音はさほど望まれてはおらず、みんな過去のヒットソングを聞きに来ていたという構図になってしまったのです。

その後、イアン・ギランとリッチーブラックモアの仲が最悪になっていきイアン・ギランが解雇されます。そのあとがまに後期レインボーのシンガーのジョー・リン・ターナーが入るのですが、ほかの残った3人のメンバーから総スカンを食ってしまい、またジョーの声の状態があまり芳しくなかったことなどからジョーも短期間でバンドを去ります。

そこにまたイアン・ギランを戻す動きが活発化して来まして、しまいにはレコード会社が結成25周年アルバムをギランをシンガーにして出せと迫ってきてギランが復帰。しかしギランとリッチーブラックモアの仲は全く修復されず今度はリッチーブラックモアが最悪の形でディープパープルを去ります。

その時の遺恨が今なおディープパープルに残ったメンバーとリッチーブラックモアの間に残っており、リッチーブラックモアがディープパープルとリユニオンを望んでもバンド側がなかなかオッケーを出さない状況の様子。

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リッチーブラックモアがディープパープルを脱退する際の最悪の行動とは?

リッチーブラックモア自身は当時のかれの行いに対して、彼なりの理由があったと言う風に現在説明をしています。しかし彼がバンドにした行為はバンドを破壊するような行為であり、存続できるかどうかの危機に陥れた。当時彼はすでにディープパープル自体に興味を失いつつあり、何かにつけてはトラブルを起こすようになってツアーの日程が組まれていた日本に行く寸前になって日本行きを反故にしてパスポートをスタッフの前で破り捨てたりしている。

彼を擁護する訳ではないけど、たび重なるツアーで日々移動の毎日、しかもいつも同じメンツ隣を見ればいつも同じ顔のスタッフ。それは人間的にも平静を保つのは難しいかもしれないですよね。しかし、これらの一連のリッチーブラックモアの行為がバンドメイトたちに与えた衝撃は半端なものではなく、リッチーブラックモアが日本行きを拒んだことから、彼に内緒で代役のジョーサトリアーニを立てて日本ツアーを続行します。

前回リッチーブラックモアがディープパープルを脱退した当時は様々な人が彼にくっ付いて行きましたが今回は形式上はリッチーブラックモアがディープパープルを脱退した、という風になっておりますが、実際のところ彼をクビにしたとみても言い過ぎではないでしょう。現にディープパープルのマネージャーだった人物、ブルース・ペインはリッチーブラックモアとの関係をそこで完全に断ち切ってしまいます。ブルース・ペインとリッチーブラックモアのつながりだけではなく、ディープパープルとの権利関係も弁護士を間に入れて清算してしまうのです。

この時リッチーブラックモアはかなりショックを受けたとも言われていますが、ディープパープル脱退前に作成したイアン・ギランとの最後のアルバム『ザ・バトル・レイジズ・オン』のイアン・ギラン復帰前に一説によるとレコード会社からこのディープパープルのアルバムをギランを入れて作ったら今後ソロアルバムを作っても良いと言われていたとも。それがあって、彼に付いて行くスタッフもいると踏んでいた節があります。

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リッチーブラックモアはもう二度とパープルでは演奏できない?

さてそんな脱退、もしくは解雇のような別れをしたディープパープルとリッチーブラックモアですが、リッチーブラックモアは2017年ころから頻繁にディープパープルともう一度ショウを行いたいと発言し始めます。

「ディープ・パープルの残っているメンバーと、僕らは憎み合ってないということを示すために一度、そうおそらく一度限りのライヴをやりたいんだ」と彼は語っている。「それで、『ほら、みんな、第2期のラインナップを好きだったファンにためのライヴだよ』っていうね。それが最初の僕の考えだったんだ。でも、ディープ・パープルのマネージャーと話している内に複雑になってきてね。彼らはお金を求めてきたんだよね。それで、旧友が集まってみるものじゃなくなって、『演奏して、いい時間をすごう。聴きたいファンはたくさんいるぞ』ってことになったんだ」

リッチー・ブラックモア、一度限りでディープ・パープルでライヴをやりたいと語る | NME Japan
レインボーのリッチー・ブラックモアは一度限りでディープ・パープルとしてのライヴをやりたいと語っている。...

ただ、現ディープパープルのメンバーたちはこぞって彼とリユニオンすることを拒否。彼とやる意味が無いとまで言い切ります。リッチーブラックモアとの間に憎しみ自体はないけど、彼とのことは過去のこと。現メンバーでディープパープルを存続させてきたし、ディープパープルをもう一度走らせてくれた現ギタリストのスティーヴ・モーズがいるからリッチーブラックモアとはやることはないとキッパリ言われてしまうわけです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AB#/media/File:Steve_Morse_2005.jpg

リッチーブラックモアと常に反目してきたイアン・ギランはリッチーブラックモアとは連絡を取り合うくらいに仲は修復したが、彼ともう一度プレイすることはないとハッキリ言っています。まぁ彼が言っているから絶対にない、とまでは言い切れないのですがやはり旗色はリッチーブラックモアにとっては良くはないでしょうね。リッチーブラックモアがディープパープルを脱退したときの行いが彼らを深く傷つけたことは間違いなく、その行い自体をすでに許してはいるものの、共演となるともうあり得ないとしています。

この彼らの心理はどこにあるか?私の推測ではリッチーブラックモアがディープパープルを去ったときの行いをメンバーたちは根に持っている訳ではないでしょうけども、リッチーブラックモアはもうすでに過去の存在として扱っているのかもしれません。また彼がロックギタリストとしての輝きを近年急速に失いつつあることも拒んでいる要因の一つかも。

彼はレインボーを再結成して、2016年からたびたびショウを行っていますが、リッチーブラックモアの現在のプレーは特にテンポの速い曲になると音符を追うのが精いっぱいで指が全く動きません。ゆったりした曲では1音1音とても丁寧に弾くのですが店舗の速い曲になると全くついてこれなくなります。もともと音符をきれいに追ったりメロディを弾くタイプのギタリストではなく、即興で弾くタイプではありましたが往年の輝きは色あせてしまったように感じました。

https://nme-jp.com/news/53053/

つまり彼はロックギタリストとしてはすでに終わってしまっているようにメンバーには映っているのかもしれません。指の手術などを受けた影響もあるかもしれませんが、以前ほど指が動かない印象です。今後ディープパープルとリッチーブラックモアの再結成があり得るのか見守っていきたいですが、彼が輝きをもう一度取り戻さないことにはテンポの速い曲ではツライのではないかな。

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